
皆さんはじめまして。子供部屋おじさんです。10歳まで日本語が話せず、小中高に通う機会がありませんでした。私の時計の針は7歳から止まっており、現在は無職の俗にいう子供部屋おじさんです。
35歳になっても限界集落の実家から出たことのない私も、ネットのおかげで収入が入るようになりました。
ブログのコンセプトを100文字で紹介
- パソコン1つで田舎で強く生きていく
- 35歳のが在宅で稼いで姿を見せる
- 限界集落で生きていく
- ガジェットとSONY製品を紹介
簡単な自己紹介

名前・KOZU
趣味・ガジェット、歴史、写真、広島カープ、ソシャゲー
目標・農業やライター業で生計を立てる
夢・実家の田舎で自由に暮らす
最終学歴・大学卒業

気がつけば35歳になりました。人生の大部分を人と接することのない生活を送り。この限界集落で生きていくと決意しました。
以下、私の経歴を全てまとめています。
スクールカースト端の端・成績表はできるが1つだけ

僕は10歳くらいまで日本語すら話せず。小6の成績表は「できるが1つ」しかありませんでした。
小学校を卒業する頃の体重は28キロ、育児放棄の母親の下で育ったため、勉強の大切さを教わることなく、幼少期を過ごしました。

勉強をしないまま35歳になってしまい、当然ながら社会経験などありません。絵にも描けないような情けない人生を送っています。
限界集落でネットのない学生時代


私の実家の前の景色です。まさに「国破れて山河あり」と言える風景ですが、ネットのおかげで上京や市内に出て働く時代の終わりを感じています。
私は1990年生まれです。中学時代はスマホなどは存在しておらず、ガラケー全盛期の時代でした。
小さい頃から父親に「高校を卒業したら就職しろ」と言われ続けましたが、小中と不登校っだったため高校に進学することが出来ず、後から通信制高校を卒業して、32歳で大卒を取りましたが、32歳の新卒を雇ってくれる企業はありませんでした。
仕方がないと人生に諦めもありっましたが、スマホの登場やネットで稼げる時代となり、今では上京したり都会に引っ越したりしなくて良かったと思い生活しています。
俺の人生は他人が決める
「俺の人生は他人が決める」は、限界集落で生まれ育った私の座右の銘です。
生まれる国、両親、育つ環境、学校の友達や先生など自分で選ぶことはできません。でも、その環境や出会う人達の影響で人生は形成されていきます。
私がいくら良いサービスを提供しても、その価値を決めるのは市場です。
私がサラリーマンになりたいと言っても採用するのは企業です。
これらを含めて「俺の人生は他人が決める」と考えるようになりました。